やまなかこ未来ノートYamanakako Mirai Note

01

INTERVIEW vol.01

古くから受け継がれてきたおもてなしの心を次世代へ

高村倉司さんSouji Takamura

山中まちづくり委員会 代表
㈱山中湖観光振興公社 常務取締役
山中湖観光協会 副会長
文化財審議委員

インタビュー:丸山高広 (山中湖情報創造館 館長)

質屋さんや銭湯などもあったし、繁華街だけで一つの街みたいな賑わいでした

丸山

昭和24年生まれ、生まれも育ちも山中湖という倉司さんですが、子供時代の山中湖はどんな様子だったんですか?

高村

戦後、日本は米軍の占領下にあったので、山中湖にも米軍が滞在していてね、
自分たちが物心ついてきた頃には、ちょうど米軍が引き上げるころだったんです。
小学校へ入る頃には、まだ米軍も少し残っていましたけどね。
米軍で山中湖が賑わっていた時は、少し前に山中区で作ってくれた「山中口留番所跡」跡の場所に、派出所がありまして、(毎晩)米軍のMPがいましたね。

丸山

結構身近に米軍がいたんですね。

高村

その時代は食べるモノも少なくて、MPさんたちにの携帯食をもらってました。
派出所から家が近いこともあって、缶詰とか、コーヒー、クッキー、コンビーフとかね。
こんなに美味しいものが、世の中にはあるんだなぁって思いましたね。

丸山

今は自衛隊がありますけど、
戦後から昭和35年までは現在の自衛隊の北富士駐屯地に米軍が滞在していたんですよね?
その頃の街の雰囲気はどんな感じだったんですか?

高村

米軍相手に、商売している人たちが多くて、
現在の山中小学校のあたりから二本木のロータリーのあたりまでが繁華街。
ほんとに賑やかでしたよ!ビアホールとか結構何軒もありましたよ、今で言うとキャバレーみたいなもんですけど。
ネオンサインもたくさんあったしね。

丸山

ネオンサインがあったんですか!(驚)

高村

我が家がある場所なんかは、特に賑やかだったね。

丸山

家の作りも、アメリカ風な感じだったんですか?

高村

そうですね。
結構おしゃれな外観の店が立ち並んでって感じだったよね。
質屋さんや銭湯などもあったし、この繁華街だけで一つの街みたいな感じだったな。

丸山

その時代は湖側の道(現在の国道)はあったんですか?

高村

ちょうどその頃かな?小学校1、2年の頃に作り始めてましたね。
山中浅間神社のあたりに、トロッコで石を運んでてね、
休みの日にはよくそのトロッコへ乗りに行きましたよ。

丸山

今で言う村道が繁華街になっていたということなんですね。

高村

映画館もありましたしね。

丸山

映画館もあったんですか!
すごい街だったんですね。
米軍が引き上げる35年頃まで賑やかな繁華街が続くわけですね。

高村

そうですね。 米軍が引き上げる少し前から、徐々に観光業へと移行していきます。

毎日終わらないくらい(床屋の)仕事があって、忙しかった

丸山

山中湖で過ごした、幼少期から床屋さんになるまでの簡単な経歴を教えて頂きますか?

高村

真面目でしたね。(笑)
小中学校は山中で、高校は富士吉田。18歳から甲府の理容師学校にいきました。
その後は甲府の床屋で5年ほど修行をして、25歳で山中湖へ戻り、
伯父さんの床屋働くことになり、現在に至ります。

丸山

帰ってきて理髪店をされていた時は、ちょうど景気がよくなってきて、
山中湖も徐々に変わっていきますよね?

高村

米軍が引き上げた後は、別荘・企業保養所建設ラッシュがはじまって
住み込みで働く職人さん達が多かったから、(米軍が引き上げた後も)活気があったね。

丸山

いわゆる、建設業者さんたちが多かったんですか?

高村

そうですね。東京からの業者さんが多かったね。
毎日終わらないくらい(床屋の)仕事があって、忙しかったよ。
もちろん、そんな状況はウチだけじゃなくて、山中湖全体が活気があったし、潤っていたね。

丸山

山中湖は、高度経済成長からリゾートに発展して、観光客が訪れるって流れだと思うんですけど、
その高度経済成長期前に建設業者がドッと入ってきたってことですか?

高村

米軍が引き上げる(昭和35年)頃には、観光業が始まっていたので、
観光客もすでに多かったから、夏は「観光客」、シーズンオフは「建設業者」を受け入れるカタチで、
年間を通してお客さんがいましたね。

丸山

高度経済成長期はどんなお客さんがいたんですか?

高村

当時、旅行といえば家族で行くことが普通だった時代だから、家族連れが多かったかな。
企業の保養所や別荘持った富裕層も遊びに来てました。

丸山

山中湖の歴史をみると、戦前から経済界や政治家、軍人さんなどが多く訪れていると聞いていますが。

高村

当時は、交通の便も、通信網も悪かったから、
別荘に来ている人たちと村民の間で自然に交流が生まれていたんだと思うんだよね。

丸山

山中湖の歴史をみると、戦前から経済界や政治家、軍人さんなどが多く訪れていると聞いていますが。

高村

当時は、交通の便も、通信網も悪かったから、
別荘の管理やお世話をすることで、自然に深い交流が生まれたんだね。

丸山

その交流に関してのエピソードなどありますか?

高村

よく聞いたのは、
当時の山中湖では医療もあまり進んでいなかったから、
病気や怪我の時など、知り合ったお医者さんを頼って、
東京で治療をしてもらったりなんて話はよくあったみたいだね。

丸山

山中湖に縁のある近代俳句の巨匠・富安風生さんなどとも交流があったみたいですけど

高村

そうですね、富安風生さんもありましたね。
僕は、風生さんの散髪もしたことありますよ。
丸尾(マルビ)地区に家を借りて住んでいて、夏は2ヶ月くらいは山中湖に居たんじゃないかな?
その間は特に交流が深かった宮下夫妻がお世話していたんだと思うけど、その当時、風生さんの事を有名な先生だと思っていた人は少ないよね(笑)

丸山

風生さん以外にこんな人が、散髪に来たよみたいなお話はありますか?

高村

沢山きましたけど、忘れちゃったな(笑)
経済クラブ(資産階級の社交場)があったから、
経済界の大物とかは、散髪させてもらいましたね。

丸山

そういうお話を聞くと山中湖って高級リゾートですよね。
高度経済成長で、沢山お客さんが来て、この頃の山中湖はとても潤っていたみたいですね。
当時、外車に乗っていた方が多かったと聞いたんですが?

高村

「ベンツに大根積んでいた」みたいな記事が週刊誌に載ったとか、
「議員になった先生達が、長靴履いて外車を運転していた」とか
いろんあエピソードを聞いたことありますよ。

丸山

(笑)。保育園の送迎時間になると、ベンツやBMWが多かったみたいな話も聞きましたよ。

高村

不動産などで財産を持っている人も沢山いたし、
ちょっと勝負すれば、ベンツの一台や二台買えた時代だからね。

街の人間が今の現状を見直さないことには、山中湖がこのまま先変わることができない

丸山

バブル崩壊後から、観光業も厳しい時代になってきましたが。

高村

そうですね。
保養所が元気な時は、湖全体が賑やかだったんですけどね。
保養所の数が減ってからは、本当に寂しい状態ですよね。

丸山

当時は、湖の周りは賑やかだったんですか?

高村

朝早くから散歩したり、ボートや自転車乗ったり、夕方も渚を歩いたりして、賑やかでしたね。

丸山

今は、夕方渚を歩く観光客の姿はほとんど見かけませんよね。
そんな山中湖の過ごし方を復活させたいですね。

高村

そうですね。
なによりも、街の人間が、今の現状を見直さないことには
山中湖がこのまま先変わることができないよね。
そんな考えもあって、当時の山中湖を復活すべく、歴史とか文化の掘り起こすことからはじめようと強くおもいました
そんな思いが山中まちづくり委員会の発足につながったのかもしれませんね。

富士山の力はホントに大きい。富士山が見えることが最高の「おもてなし」

丸山

現在活動中の「山中まちづくり委員会」について教えて頂けますか?

高村

平成19年に発足し、山中区のマップづくりをし地域に配布しました。 山中区の自然・歴史・文化を山中諏訪神社を中心としたマップをつくることにより、 住民が地域への関心を持ってもらい、まちづくり活動への参加を目的としています。
現在は、看板設置したり、散策ルートなども整備しています。
いまは東大の教授などを中心にフットパスのためのコースを山中区のみならず他の3地区でも制作しています。

丸山

現在活動中の「山中まちづくり委員会」について教えて頂けますか?

高村

山中まちづくり委員会は、僕が区長時代に、山中湖にかつての賑わいを取り戻したいという思いが一部の人の中で自然に高まっていました。 その後、その有志で集まり、山中地区に地域に残っている歴史や文化を掘り起こそうと、平成19年「山中まちづくり委員会」が発足しました。 手始めに、山中区のマップづくり地域に配布しました。山中区の自然・歴史・文化を山中諏訪神社を中心としたマップをつくることにより、 住民が地域への関心を持ってもらい、まちづくり活動への参加を呼びかけることを目的としています。
現在は、看板設置したり、散策ルートなども整備していて、街の人はもちろん、観光客にも楽しんでもらえる「まちづくり」を継続して行っています。

丸山

山中湖の観光の楽しみ方と倉司さんの意見をお聞かせ下さい。

高村

観光客のみなさんには、やっぱり「富士山」のパワーをもらって帰ってほしい。
富士山が少しでも見えれば、100%喜んでもらえる。
海外からの観光客は、富士山が見れると、本当に喜んでいますからね。
そんなとき、富士山の力はホントに大きいなと感じます。
富士山が見えることが最高の「おもてなし」なんですよね。

丸山

本当にそのとおりですね。そんな富士山も含め、倉司さんにとっての山中湖の魅力ってどこですか?

高村

富士山やその周辺の自然はもちろんですが、やはり「人」だと思います。
特に、戦前からの商売や観光業で培った「おもてなしの心」は、この街ならではだと思います。

丸山

戦前~戦後~現在までなど都会から人が訪れ、その人々とのふれあいの中で
「おもてなしの心」が自然と生まれ、親から子へ受け継がれて来たんですね。

高村

そうですね。
長い間親から子へ受け継がれてきたきたこの「おもてなしの心」や、
「観光地とは」「自然とは」「リゾート地とは」など、観光業をする家自体が徐々に減ってきている今だからこそ、
次世代に伝えて行かなければならないと思っています。
そして、次世代にしっかり伝えることで、山中湖の観光業もまだやっていけると信じています。

丸山

次世代に伝える方法として、最近では中学生の職場体験などがよくありますが、
観光業を体験するみたいなものも良いかもしれませんね。

高村

いいですよね。
花の都公園や紅富士の湯などは、やったりもしていますね。
職業体験などをとおして、次世代にしっかり伝えることで、
他の観光地やリゾート地などとは違った「おもてなし」ができるかもしれませんね

地域住民で未来の山中湖のイメージを共有して 地域全体で発信していけば変わっていける

丸山

山中湖の山中諏訪神社の例大祭・安産まつりの子供神輿をみて
こういう伝統がまだ続いていることに驚いたんです。
お祭りとして、他にはない面白さがありますよね。

高村

最近では、お祭りの日程を週末や祝日に変更してしまう地域なども多いですが、
山中湖では、日程はもちろん、なるべく変わらないカタチで残していますよね。
平野地区では伝統的に「お神楽」なども続いていますし。
伝統を守るのは本当に大変ですし、先人に対する感謝の気持ちと努力の賜物ですね。

丸山

山中湖に来る前は、北杜市にいたんですが、
地域住民がふれあう目的のお祭りはあるものの伝統的な祭りがないんです。 山中湖はじめ、富士吉田などで行われているような、
伝統的のある祭りがある地域は魅力的だなって思いましたね。
今増えている、外国の観光客の方にも魅力的な文化の一つですよね。

高村

そうですね。
外国人や観光客へお祭りをはじめとした山中湖の文化を知ってもらうきっかけづくりみたいな事をもっと進めていければ、
山中湖での滞在時間も増えていくと思いますね。
外国人は熱心に文化に触れていく傾向にありますし。

丸山

今後、山中まちづくり委員会の活動予定などを教えて頂けますか?

高村

まちづくり委員会は、山中区からの補助金や、宝くじの助成金などでいろんな事業を行ってきましたが、
今年からは、村から4地区(山中・旭日丘・平野・長池)に補助金を頂けることになったので
各地区ごとの歴史や自然、文化などを地区ごとの個性と共に発信し、
4通りの面白い文化を一緒に楽しめる山中湖の新しい観光地づくり・まちづくりをすすめていきたいと思います。
そして、地域の人たちが山中湖の歴史や自然、文化を見直して、関心をもち、
観光客や地域外へ発信していくようになればいいですね。
また、東大教授などを中心にフットパスのためのコースを4地区で制作予定です。

丸山

今までは行政やコンサルタントが主導で行っていましたが、
これから、地域住民がどう関わっていくかが、これからのまちづくりには本当に重要ですよね。
それでは、これからのまちづくりを担っていく、次世代の若者へむけてお願いします。

高村

観光業をする人たちが減っていますが、
山中湖は観光地・リゾート地として特別な地域であることを認識してもらい
フェイスブックなどのSNS新しい技術どんどんとりいれ、
地域全体、官民一体で、世界へ発信していって欲しいですね。

丸山

最近、山中湖の雰囲気が変わってきましたねという話を耳にします。
新しい取り組みの効果が徐々に表れてきていると感じる人が増えてきていますが、

高村

そうですね。
但し、まだまだやらなければいけない事が沢山あります。
地域住民で未来の山中湖のイメージを共有して、地域全体で発信していけば変わっていけると思います。

interviewed by Takahiro Maruyama

丸山高弘

丸山高弘マルヤマ タカヒロ

山中湖情報創造館 指定管理者 館長
NPO法人地域資料デジタル化研究会 副理事長

山中湖情報創造館 http://www.lib-yamanakako.jp/
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